No.0010 N.A.さん
ユニスポPJリーダー
他人の不自由を、「自分ごと」にできるかがカギとなる。
障害があることと、不自由であること。
"こんにちは!
ご覧いただきありがとうございます。
私が障害というものに関わるようになったのは、障害関連のゼミに所属してからです。
このゼミには2年生の秋学期に農業の新しい在り方としてソーシャルファームというものに興味を持ち、所属することとなりました。
そしてそこで、「エンターテイメントをより多くのものに楽しんでもらうためのプロジェクト」のメンバーとして活動することになりました。
正直、初めは障害とはなんなのか全くもってわかりませんでした。障害に関するニュースが話題になっても、それはどこか遠い場所での出来事でした。
しかし、上記のプロジェクトやゼミの授業でたくさんの方と関わるうちに、「障害があること」と「不自由であること」は同義ではないということに気が付きました。そして、「障害があること」と「不自由であること」が同義のように感じられる社会の方に何か問題があるのではないかと考えるようになりました。"
不自由さには種類がある
私は、社会に生きる誰しもが「不自由さ」を抱えながら生きていると思います。例えば、私は「〇〇に挑戦したい!」と思っても、「自分にはそんな能力はない」「そんな時間はない」「失敗するかもしれない」「一緒にやってくれる人がいない」などと思って、なかなか挑戦することができません。これはある意味、「不自由」です。
一方で、私がアルバイトをしている放課後デイサービスに通う子どもたちは、将来自分が「就きたい!」と思う職業につける子はおそらくほとんどいません。また、その職業に就けるようにチャレンジすることもできません。
私が抱えている「不自由さ」と、彼らが抱えている「不自由さ」には明らかな差があります。これは「不自由さ」の原因がどこに帰属するのかという差だと今の私は考えています。おそらく、前者が自分自身、後者が社会や制度なのだと思います。
「自分ごと」の重要性
私は「不自由」の原因の帰属先が社会や制度であってはいけないと考えています。それは、たとえそれが障害ではなくても同じことです。
多くの人が抱えている「不自由」の原因が社会や制度に帰属してしまっているのはなぜなのか。ゼミに所属して活動し、たくさんの方との出会いを踏まえた上で、現時点での私の仮説は、その「不自由さ」を抱えていない人にとって、その不自由さが「自分ごと」ではないからです。
自分の抱える不自由さだけでなく、自分が抱えていない不自由さの原因についても理解しようとする人や、他者の不自由さについても身近な「自分ごと」として捉えることのできる人が多くいる社会になってほしいと思っています。
SFC-IFCを通じて
はSFC-IFCでの活動を通じて、まずは自分自身が、障害やその他多くの人が抱える「不自由さ」を「自分ごと」にしていきたいです。
こんなことは自分で言うことではないのかもしれませんが、私はとても恵まれた環境で育ちました。その為、原因が社会や制度に帰属する「不自由さ」をほとんど感じることなく20歳になってしまいました。きっと私の考えていることは、多くの人にとって「甘い」のだと思っています。
SFC-IFCでの活動を通じて、多くの人と出会い、関わり、学び、「自分ごと」にできることを増やしていきます。
最後になりますが、この場を借りて私をSFC-IFCに誘ってくれた吉澤さん、寺澤さんには心からのありがとうをお伝えします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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