No.0008 深田 吉則
運営局会計/データ・情報局局長
普段目にするもの、悩み、交友関係、そんな身近なものがSFC-IFCの理念に通じている。ただそれだけ。
障がいや福祉に深く関わってこなかった
こんにちは、ご覧いただきありがとうございます。
私は関西大学文学部OBの深田吉則(ふかた よしのり)です。
今年春(執筆時:2023年)に新社会人になります。これを書いている数時間後には入社式が迫っています。
大学は関西大学に4年間所属し、神経美学や芸術心理学といった、知覚と芸術についての分野を学習していました。臨床心理学についてではないのか、と思ったそこのあなた。ごもっともです。実のところ私は、SFC-IFCで取り扱う、「障がい」「福祉」「包括的な社会」といったテーマについて、深く関わってこなかった人間なのです。会社も一般的な企業で、なんなら心理学や芸術とも関係はありません。
普通ってなんだ
しかし、私はSFC-IFCに所属することにしました。
それはなぜか。
理由はいろいろありますが、「普通か否か」という二つに一つという考え方に疑問を感じているというのが一つの理由です。
私は小学生の頃から目が悪いメガネっ子でした。ものの見え方が他人と違うという面白おかしい事象は、やがて他人との、ものの感じ方の違いに興味を抱かせました。
また、私の通っていた小学校および中学校には特別支援学級がありました。そこに所属する彼らと触れ合う中で、彼らのものの感じ方に対して興味と同時に、逆に「自分が感じている普通ってなんだ」と問いかけるようになりました。
グラデーションな世界
そして近年、様々な物事について、今まで多くの人が一般的に思っていたよりもグラデーションで曖昧なものらしいということがわかってきました。「ADHD・ASD」、「精神障害」、「性自認」などなど、当てはまるか否か、普通か異常かなど二者択一だけでは括ることのできないグレー、境界付近の人々が多くいるという事実が世間に広がりました。私もそういったきらいがあるのかもと何度も悩みました。
加えて、これまで20年ほど生きてきて私にはそういった人々が周囲に集まることが多いのです。そのような中で、「意外と世の中の人はみんながみんな、何かしら普通ではないのだろうな」と思うようになりました。
この社会の中でそれぞれがそれぞれにとって生きるに適した形をしており、「普通」ではない部分が社会に要求されていないだけか、人生の中で障壁にぶつからないだけなのではないかと。
逆に言えば、今の社会で苦しんでいる人たちも、例えば身近なところで言えば学校や職場の「普通」というものが拡大されれば、今までは障壁だった部分も「普通」に含まれるようになり、生きづらさが減るのかもしれないと思っています。
SFC-IFCに所属するワケ
このような感じで、自分自身の小さな悩みや交友関係、普段目にするもの、そういったものがこのSFC-IFCの理念に通ずるものだったというだけ。これくらいの気軽さで活動に参加して、組織を土台として支えられるのはなかなか面白いし貴重です。
障害福祉関連のプロジェクトがひとところに集まる、合理的かつこれから必要なこのコミュニティ。ここに所属し、学びや知見を深めるのに加え、何かを変える可能性を秘めた、うねりのようなプロジェクトをサポートできる経験は、文字通り買ってでもしたいというものですね(ダイマみたいになりましたね)。
私のように、深い知識や経験がなくとも、「普通」とは何か、というトピックに琴線が鳴る方であるならば、このコミュニティで得られるものや、実現できるものがあると私はそう感じています。
ご一読ありがとうございました 。
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