記事本文
《ノーマライゼーション》
非常に誤解を招きやすいし、人によって含む意味が異なっている可能性が高い言葉の一つだ。
◎生み(1959年)の親
→バンク・ミケルセン (デンマーク)
◎体系化して考えを広げていった2人
①→ ベンクト・ニィリエ (スウェーデン)
②→ ウォルヘンスベルガー (ドイツ)
※ウォルヘンスベルガーは、1967年にニィリエを講演会で知る。
人権には、立法によって現実にカバーされる事柄以上のものがある。法律は知的障害者のある種の状態を統制できても、広い意味で知的障害者の生存状態や個性的発達の機会に丸ごと影響することはできない。法律や立法は、人権の実現という点で、問題解決および適切な活動に十全な回答を用意してはくれない。人権は、文化的及び人間的な文脈においてのみ存在できる。
by. ベンクト・ニィリエ(1985) →ノーマライゼーションの育ての親
ソビエト軍のハンガリー侵攻(1956)→ハンガリー人がオーストリアに逃れ難民となる。ニィリエは、難民キャンプでの秩序維持の仕事を通して次の言葉を残す。
「人は、知的障害者ではなくとも、精神に傷を負い、ハンディキャップを被り得る。」(1999)
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《ニィリエのノーマライゼーション》
社会の主流となっている規範や形態にできるだけ近い、日常生活の条件を知的障害者が得られるようにすること。※その後、「全ての知的障害者に、社会の通常の生活環境と様式に可能な限り近い日常生活のパターンと条件を、可能にさせること」と定義修正をしている。
①1日のノーマルなリズム
②1週間のノーマルなリズム
③1年間のノーマルなリズム
④ライフサイクルでのノーマルな経験
⑤ノーマルな要求の尊重
⑥異性との生活
⑦ノーマルな生活水準
⑧ノーマルな環境水準
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《世界の中のノーマライゼーション》
1971年「知的障害者の権利宣言」
1975年「障がい者の権利宣言」→対象を障がい者全般に拡大
1981年「国際障害者年」上記の2つを単なる理念ではなく社会の中で実行していくという意図。
テーマは「完全参加と平等」(Full Participation and Equality)
1 障がい者の社会への身体的および精神的適合を援助すること
2 障がい者に対して適切な援護、訓練、治療および指導を行い、適当な雇用の機会を創出し、また障がい者の社会における十分な統合を確保するための全ての国内的および国際的努力を促進すること。
3 障がい者が日常生活において実際に参加すること、例えば公共建築物および交通機関を利用しやすくすることなどについての調査研究プロジェクトを奨励すること。
4 障がい者が経済、社会および政治活動の多方面に参加し、および貢献する権利を有することについて、一般の人々を教育し、また周知すること。
5 障害の発生予防、およびリハビリテーションのための効果的施策を推進すること。
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参考:[ニィリエとウォルヘンスベルガーの考え方]
彼はその後、ボウルビィの論文を読み、障害児を家庭から引き離して幼児期に施設入所させることの問題を知るとともに、施設入所者よりも重篤な在宅障害児の方が、発達条の問題を抱えていない事実を肌で知り、ノーマルな生活条件の重要性を悟ったという。
…なおここで、ニィリエが、障害児学級などの障害者に対する「特殊」機関やサービスについて、いかなる考えを持っていたかを補足しておく。ニィリエのノーマリゼーションは、生活のパターンやリズムの「ノーマル化」をめざすが、個人の「ノーマル化」はめざさない。…障害者を包み込む環境の「ノーマル化」をめざしたものである。
…ウォルヘンスベルガーは、ノーマリゼーション原理と関係づけながら、次のようにSRV理論の説明を行なっている。
ノーマリゼーション原理の最も明白で究極的なゴールは、社会的な価値が低いとされがちな人々に対して、価値ある社会的な役割(valued social roles)を付与したり、そうした役割を持ち続けさせたりすることでなければならない。ノーマリゼーション原理の構成要素や目標は、事実上、全てこのゴールに従属するものである。それは、個人の社会的な役割が社会の中で価値があるものと見られるならば、その個人の生活する社会の社会資源や規範の範囲内でという限界があったとしても、他の望まれる事項は、その個人にはほとんど自動的に与えられるからである。実際に、社会から否定的に値踏みされるような個人の属性も、肯定的なものとして見られるであろう。
引用:インクルーシブな社会をめざして(清水貞夫.2010.)
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※SRV理論(Social Role Valorization)
ウォルヘンスベルガーがノーマリゼーションをSRV理論と名称変更した理由は、以下の2つである。
① 言う人によって異なった意味を含蓄するものとして使われている。
② 精緻で経験的にも論拠をもつ対人サービスの総合的理論(megatheory)であるのに、ノーマリゼーションと言う言葉を聞いただけで自明のように理解したり、陳腐なものとして把握して、見当違いの批判がなされている。
とはいえ、すでにノーマリゼーションという言葉が世間に広まってからこの言葉にするというのは無理があることはおよそ本人も承知していたのではないだろうか。それでも自身の理論の名称変更にふみきったのは、ニィリエの簡潔で称賛されている理論に混乱をもたらしたと批判されている現実を受け止め、区別する必要性を認識したからではないか、とも言われている。
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《ニィリエとウォルヘンスベルガー、2つのノーマライゼーション》
● ニィリエ:生活や環境のノーマリゼーション。
● ウォルヘンスベルガー:人々や社会に蔓延る「逸脱」を’根本’から無くす。
個人のノーマリゼーション化。「物理的な逸脱の並置」などは絶対に避けなくてはならない。つまり、心の中で逸脱してると思うから物理的な逸脱が生じ、 物理的な逸脱の並置が生じるから、余計にその「逸脱」という見方は広がっていき、スティグマや偏見を助長する。また、施設職員が大人のクライアントを子供のように呼称したり、施設の名前に「特異」な名前を関することも社会の中で「逸脱している」というイメージを植え付ける一因になっているとして批判している。
➡︎問題意識は似ているが、解決するためのアプローチが異なる。
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参考:[ニィリエのウォルヘンスベルガーに対する批判]
ノーマリゼーション原理は、個人の尊厳の尊重を出発点にしている。行動、容姿、他者の理解を可能な限り文化的に規範的となるように確立したり、可能にさせたり、規範的なものを保持し続けるようにすること(1972年のウォルヘンスベルガーの説明)を意味するものではない。私は、インテグレーションが誠実さを認め合うことを基盤としている、と明言する。つまり、「他者の中で自己である」こと、「他者の中で自己を確立でき、自分であることが許される」ことを意味しているのである。したがって、ノーマリゼーション原理は、生活の現実を問題にするのであり、容姿を社会に一致させたり、’偽り’(passing)や逸脱の隠蔽等をあえて推奨しない。
ここで登場する’偽り’(passing)というのは、エドガートンが脱施設化していき地下で生活するようになった知的障害者の調査で明らかにした事実、つまり、地域生活をする知的障害者は日常生活の中で、直面する困難に対処するとき、自らが知的障害者であることが露見しないように誤魔化し、繕いながら生活しているということである。エドガートンは、そうした事実を’偽り’(passing)と呼んだのである。-インクルーシブな社会をめざして(清水貞夫/2010)
➡︎ウォルヘンスベルガーは、こうしたpassingや逸脱の隠蔽は知的障害者でなくても一般的にあり得ることだから、知的障害者が知的障害者であることを隠せるのであれば隠して生活をするべきだと肯定している。
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《そもそも「ノーマル」「ノーマティヴ」とは?》
ウォルヘンスベルガー「’規範となっている’という語句は、道徳的というより統計的な意味であり、標準的や慣例的と同じであると考えられる」
→メシボフ「他人の行っていることを行うことが、必ずしも善とならなかったり、尊厳や満足を得ることにならない、という陳腐な事実を無視している。」
ノーマリゼーションの最大の問題点は「ノーマティヴ」や「ノーマル」というものをいかに明確にするか。また、ノーマルな日課の価値を問う必要はないのか、例えばある大人のノーマルな日課が、タバコを吸うことである時、ノーマルな日課であることを理由にしてタバコを提供することが善なのかというような問いも出てくる。これについては、ウォルヘンスベルガー自身もノーマリゼーションの抱える問題点であることを認めている。
また、ニィリエとウォルヘンスベンガーのノーマリゼーション原理の弱点として、「当事者」たちに重きが置かれていたが、今日において明らかになっていることは、当事者への原理適用だけでは不十分ということだ。
つまり、障がい者本人とその家族などにもノーマリゼーションを適用する必要がある。なぜなら、当事者にノーマリゼーションを適用することによって、その家族が周り回って非ノーマルな生活を強いられることが大いにあるからだ。今日では「ファミリー・ケア」の重要性が叫ばれている。
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記事の重要団体・人物
バンク・ミケルセン / ベンクト・ニィリエ / ウォルヘンスベルガー
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この記事について
◎主な時代 :
明治
◎かかる時間(分) :
10
◎難解さ(簡単1 ⇄ 難解5) :
5
◎文章量 :
◎最終更新 :
3800〜4500文字
2023年
◎関連人物 :
バンク・ミケルセン / ベンクト・ニィリエ / ウォルヘンスベルガー
厚生労働省
私たちが見ている「ノーマル」とは