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【癲狂院と精神病院法】
◎癲狂院(てんきょういん)
癲狂(てんきょう)とは、「精神障害」の呼び方。
今は全く使われませんが、癲狂という言葉は、奈良時代から明治時代にかけて長い時代使われてきました。
その名前の通り、よくないイメージの漂う言葉です。
癲狂院というのは今でいうところの精神科病院などにあたります。
1875年に日本で初の認可された(公立)癲狂院である「京都癲狂院」ができました。
その後も東京に公立癲狂院ができるなどしましたが、東京と京都に癲狂院が集中するという形でした。
◎相馬事件(1883-1895)
その後、相馬事件(そうまじけん)という世間を揺るがす重大な事件が起こります。
相馬藩主であった相馬誠胤(そうま ともたね)が精神病者(統合失調症だったと推定されている)として座敷牢に監禁されたことで起きた一連の騒動です。
相馬藩のメンバーが相馬誠胤の症状に疑いを持ち、相続を狙った兄弟や家族による不当な監禁だと主張。
この告発をした錦織 剛清には世間から同情の声が集まった。当時、精神病についての知見もまだまだ浅かったため、名高い教授・医者によっても診断内容は異なっていました。
色々とモメましたが、この一連の騒動には最終的に、大井憲太郎、星亨、慶應義塾の福沢諭吉、陸奥宗光ら当時の著名人が多く関係し、中井常次郎(東京府癲狂院院長)、松本順、榊俶(東京帝大の初代精神科教授)ら名だたる医師も診察にあたりました。明治ジャーナリズム史上最大の事件の一つだと言われています。
この事件によって、国全体の精神病に対する意識が高まり、法や制度を作ることにつながっていきます。
記事の重要団体・人物
川越病院 (旧京都癲狂院)
075-771-2972
この記事について
◎主な時代 :
明治時代
◎かかる時間(分) :
4
◎難解さ(簡単1 ⇄ 難解5) :
3.5
◎文章量 :
◎最終更新 :
600~800字
2023年
◎関連人物 :
相馬誠胤/錦織剛清/大井憲太郎/星亨/福沢諭吉/陸奥宗光/中井常次郎/松本順/榊俶
厚生労働省
〜精神障害に関する重要な歴史〜