
No.0026 山崎 真奈
IMP 映像編集
〇〇〇〇への手紙が大事になことに気付かせてくれた。
私のページにお越しくださったすべての皆様と、未来の私へ
"みなさんにとって大事な「手紙」は何ですか?
ラブレター?誕生日のお祝いの手紙?喧嘩の仲直りの手紙?手紙の用途は、双方の関係性によって多岐に渡りますね。
私は、手紙がとても好きです。理由はたくさんありますが、その一つは、「手紙を書く」という行為は言わば相手に対する自分の思考の言語化であり、それは私たちにさまざまな気付きを与えてくれるからです。そのおかげで私たちは、相手への感謝を改めて胸に刻むことができるでしょう。また手紙は、時を超えて想いを残し伝えることもできます。"
「障害」について興味を持った経緯
ここで、冒頭の質問に戻りましょう。
私にとって大事な手紙は、名前も誕生日も血液型も私と同じ女の子が書いてくれました。つまり、過去の私が書いた手紙ということです笑
中学生の時、興味本位で未来の自分に書いていた手紙を、高校生の時にふと読み返して衝撃を受けたという経験について綴らせて頂きます。
開いてみるとそれは、一般的な手紙とは異なり、中学生の私が「障害」について考えたことが書き連ねてありました。それでは本人の許可を得て、一部を紹介させていただきます笑
『私は健常者と障害者のちがいを考えたとき、生まれ持ったものがちがうだけなのではと思った。それなら、両者とも対等であるべきだ。でも現実的には、社会生活のしやすさに差が生まれている。だから、健常者がせいいっぱい支えれば、みんなが過ごしやすくなると思う。』
大学生の私からすると、いかにも中学生らしい文章だと思います。最初の文については、中途障害の場合も考えて「生まれ持ったもの」ではなく「持ち物」という表現の方が適切かもしれません。
また、最後の一文に関して、中学生の私は、障害者が健常者や障害者を支える側にまわる可能性を考慮できていません。そのため、健常者/障害者という二項対立の考え方を一旦横に置いて、「全員が互いの力を出し合って精一杯支える」という言い回しの方が好ましいと思います。
一方、これを読んだ高校生の私はというと、自分の視野の狭さをひどく痛感しました。なぜなら、当時の私は自分の生活する世界から、悪気なく障害者を消してしまっていたからです。自分と異なる環境の人々のための想像力や思いやりが、自分の思考から欠落している状態は、同じ社会に暮らす仲間として未熟で恥ずかしいことだと思いました。「日常での視野を広げて自分以外の視点を増やすこと」が、社会で生活する上でのマナーであり責任だと高校生の私は認識しました。
それからというもの、限られたツールの中で障害者の生活を知ることがお気に入りの行動になりました。しばらくすると、知るだけでは物足りなくなった私は「『障害』に、障害者と共に関わりたい」と考え始めたものの、なかなか機会に恵まれませんでした。
SFC-IFCとの「出会い」
"そんなときに出会ったのが、SFC-IFCという障害福祉に留まらない「視野の広い」団体でした。というのも、SFC-IFCは障害福祉に限らず「多方面でのインクルーシブな社会の創造」を理念に掲げて活動しているからです。
ちなみに…入会のきっかけは、話上手な美しいお姉さんが声をかけてくれたことでした。
照れないでください、葵さん!笑
私を含め、たくさんのメンバーをSFC-IFCに誘ってくださって本当にありがとうございます。
ところでみなさんは、「インクルーシブな社会」とは何だと思いますか?
私は、インクルーシブな社会とは、「多くの人が『障害』などの自分のアイデンティティに対して、ネガティブに感じることなく生活できる、相互理解と設備の整った社会」だと考えています。
それを実現するために必要なことは何でしょうか?
私は「社会の人々に『障害』を認識してもらうこと」が最も重要なことの一つだと思います。人々が「障害」に関して無知・無関心な状態を改善することで、「障害」に対するネガティブなイメージが解消されていき、先述の社会に近づいていくのではないかと現時点では予想しております。そのため私はSFC-IFCで、「障害」の発信に励んでいきたいと考えているので、どうぞよろしくお願いいたします。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。最後になりますが、どなたの自己紹介も個性溢れる魅力的な仕上がりになっていますので、いろいろなページをお楽しみ頂けると嬉しいです。"
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