
No.0018 赤澤 恵
IMP 映像編集
障がいは人為的な線引きだ。マイノリティでも生きやすい社会へ。
《障がいに興味を持ったきっかけ》
"はじめまして!
慶應義塾大学法学部法律学科の赤澤恵です。
私は高校時代まで、障がいを持つ方と関わったことが一切なく、障がいについて深く考えたこともありませんでした。
しかし、高校時代に所属していた部活の試合でアキレス腱断裂をしたことがきっかけで、障がいについて興味を持つようになりました。
アキレス腱を切ってからの生活で大変だったのは、思うように身体が動かせないことだけではありませんでした。「アキレス腱を切った」という事実以上に、「周囲の人と同じではないこと」による精神的な負担が1番大きかったように思います。
通学するのにも、友達と移動教室をするのにも、お風呂に入るのにも、何をするのにも、多数派の人に自分が合わせなければいけない。怪我をしている自分のせいで周りに迷惑を掛けてしまっていることにも申し訳なさを感じていました。
そしてその経験は、障がいを持っている方が辛いと感じていることは、障がいそのものだけではなく、精神的な面についても言えることなのかもしれない、という気づきにも繋がりました。
怪我をしてから、それまでは興味のなかった障がいや福祉について何かしらの形で関わりたい、自分もマイノリティーとされる側の方のために何かしたいと思うようになりました。"
《障がいってただの線引き》
大学に入ってからは、履修していた体育の先生づてで、障がいを持っている子供達と一緒にアウトドアスポーツを楽しむボランティアに参加させて頂くことがあります。
私は大学に入るまで、身体障がいを持っている方と関わりたいと思っていて、その団体にも身体に特性を持つ子が参加しているのかなと思っていたのですが、その団体には身体障がいの子はいませんでした。
ただ、そこで感じたのは、障がいというのは元々人為的に作り出された線引きなのであって、「障がいを持っていても持っていなくても、その人となり全てがそれぞれの個性であるのではないか」ということです。
というのも、その団体にいる子達は、どの子も苦手なことがあるけれど、それは障がいがあるとされていない人も同じことだと感じたからです。
団体に来ている子供達がたまたまそうだったのかもしれないし、子供によって障がいの種類やタイプも違う。子供達と一緒に過ごす時間が長くなるほど、その思いは強くなっていきました。
誰かが人為的に、スタンダードやマジョリティーを決めてしまっているからこそ、その枠から外れてしまっている場合は障がいであると定められているのだと思うし、基準さえ違っていたとしたら、今は不自由なく日々を過ごせている自分が少数派になってしまう可能性だってあるのだと思います。
《マイノリティーでも生きやすい世界へ》
私はまだ障がいを持つ方の支援方法どころか、障がいに対する考え方についても、まだまだ学びきれていないのですが、将来社会人になったとき、障がいを持つ方に限らず世間的にマイノリティーとされている方々が生きやすくなるような何かしらの支援に関われたら良いなと思っています。
今、私が特に知りたいと思っているのは、「障がいを持たれている方々への支援方法」についてです。私が怪我をしていたときは「自分も変に気を遣われずに周りの人と同等に対峙して欲しい」と思っていましたが、人によっては「周りと同じとか違うとかを気にしないからちゃんと支援して欲しい」と思う方もいると思います。
上記のことについても、それ以外のことについても、大学生活中に自分なりの正解を見つけ出したいです。
残りの大学生活は2年間しかない上に、活動が多い運動サークルにも入っているため、全てのSFC-IFCの活動に参加できるわけではないかもしれませんが、SFC-IFCで、色々な方の意見を吸収したいし、私が動ける場面があれば、ぜひたくさん活動したいです!
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